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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

ペトリファイド・フォレストの不思議

2001年4月号

 ペトリファイドとは、化石になった、という意味。つまり、「化石の森」がペトリファイド・フォレスト。ここは、国定公園に指定されている。

 ここは、アリゾナ州の北東部に位置し、ナバホ郡とアパッチ郡との境にある。

 今月は、このユニークな国定公園を探ってみよう。

ペトリファイド・フォレスト国定公園の公式サイト
 

 

 フラッグスタッフ(Flagstaff)からホルブルック(Holbrook)まで高速道路I-40号を東に向かう。公園の入り口は2ヶ所あり、それぞれ行き方が異なる。

北口

ホルブルックを過ぎて、更にI-40号を東に走ると、間も無く標識が見えてくる。そして北口に入ると、ビジンタセンターがある。

 

南口

ホルブルックから180号線に入り、南下する。公園は、実際に二つの部分から成り、北側がペインテッド・デザートで、南側がレインボー・フォレストと呼ばれる。

 

 名前は「化石の森」なので、いわゆる一般の森を想像して訪れる人が、失望することもあると言われる。まず、園内に入って我々の目に飛び込んでくる風景は、荒涼とした砂漠に横たわっているおびただしい数の丸木だ。ところがよく見ると、丸木ではなく、石なのだ。

 その上、ペインテッド・デザートとも呼ばれる塗り絵の山のように美しい風景が続く。

 

  16世紀にスペイン人がこの周辺に来ていたことが、記録でわかっている。しかし、化石化した木の描写はないので、仮にそれを見たとしても、黄金の都市を探していた彼らにとっては、意味のないものとしか感じなかったかもしれない。

 次に1850年代、科学者や地形技師などがこの地を訪れた。彼らは、化石の破片を収集し、東海岸や中西部の博物館に送った。彼らは、この地を「カルセドニー・フォレスト」と呼んでいた。「カルセドニー」とは、日本語で玉翠のことで、石英が細かい結晶となって網目状に固まった鉱物のこと。美しいものは、宝石として扱われている。彼らが見た木の化石がそれに似ていることから、このような名前を付けたようだ。このカルセドニー・フォレストを国定公園にしようという動きが19世紀後半に起こってきた。そして、連邦政府が専門家をこの地に派遣して調査を始めた。

 調査をして発見したことは、この地の初の訪問者は、古代先住民で、8千年前の昔にこの地で生活をしていたことがたっだ。そして、2千年前にはアナサジ族やシナワ族、モゴヨン族もこの近辺に生活をしており、公園内に600ヶ所以上の遺跡が発見された。そこには、彼らが描いた絵が岩の表面に残っている。

 こうして、考古学者が調査を進めていくと、もっと注目に値する事実が浮かび上がってきたのだ。

 

 1962年、この地は、「ペトリファイド・フォレスト国定公園」に指定された。

 1984年8月、ペトリファイド・フォレストで、テキサステック大学の大学院生、ブライン・スモールがカリフォルニア大学の古生物学者のグループと植物の化石の研究をしていた。すると、ある日突然、スモールは、動物の足首の骨を見つける。程なく、これが恐竜の骨であることがわかると、他の同僚を説得して、発掘を進めた。

 翌年春、カリフォルニア大学の古生物博物館が調査団を当地に派遣し、大掛かりな発掘作業が開始された。そして、1985年6月6日に、2億2千5百万年前の恐竜の骨をほぼ完璧な形で発掘することに成功した。これは、大型の犬ほどの大きさで、地球上最古の恐竜の化石であることがわかった。その後、似たような恐竜の化石が数体発掘されている。この発掘によって、少なくても地球で2億2千5百万年前から恐竜が出現していたことが明らかになった。

 ここで見つかった化石の恐竜がまだ生きていた時代に戻ってみよう。

 時は、中生代の初期、三畳紀。まだ、世界の陸が地続きで、大きな一つの大陸だった。気温は今よりも高く、海に近い地域は亜熱帯で草木が多く、内陸部は乾燥していた。この時代に恐竜が出現したのだ。

 アリゾナの位置は、現在より赤道に近く、現在のパナマ辺りだと考えれば良い。アリゾナ北東部は、比較的真っ平らで広大な沿岸平野だった。そして、沼地や池が点在し、泥の河川が交錯していた。亜熱帯気候のため、超えた土地には多くの植物や木々が茂っていた。それより南側は活発な火山活動により、山脈が釣らなり、現在のカリフォルニアやネバダは、海であった。

 当時、亜熱帯地域のこの辺りにアリゾナ南部にあった山脈から数え切れないほどの河川が平地に流れ込んでいた。その川が運んできた土砂が平地に沈殿していく。河川は時々氾濫する。そして、水は木々を倒し、おびただしい数の丸木が流されて、土砂と一緒に沼地に運ばれていく。丸木、木葉、昆虫、死んだ生物の骨などが沼地に沈殿していった。

 沼地の中に入ってしまったこうした木々は、外からの空気が遮断された状況の中でそのまま保存されていく。枯れて朽ちていくことがないこうした丸太の中に水中のケイ素が少しづつ浸透していく。恐竜の骨も同様である。そのケイ素が酸化すると、繊維の中に石英を作り出していく。こうして化石が誕生する。

 三畳紀の末、この一帯が沈下する。そうなると、水が入り込み湖ができる。そして、今度は土地が隆起し始める。すると、この圧力で丸太の化石にヒビが入る。土地の表面は、強風と雨水で少しづつ土砂げ削り取られていく。そうすると、中にあった化石が表面に出現する。

 こうして、現在、丸木や生物の化石が地上に現れ、私たちの目で見ることができるようになる。この地下には、まだまだ多くの化石が眠っていることがわかって入る。今後さらに侵食が進めは、過去が未来に戻ってくる日が続いていく。

 

 1884年、サンフランシスコの実業家が、カルセドニー製造会社を作った。彼は、ペトリファイド・フォレストに累々と横たわる丸太の化石に目を付けた。これを加工して宝石として売れば、良い商売になると考えた。そして、たちまち短期間で大量の化石を集めて、サンフランシスコに出荷した。

 ところが、宝石細工師はさじを投げてしまう。と言うのは、化石が固すぎて切断や練磨ができないのである。その上、化石に傷が入ると、そこから亀裂して壊れてしまうのだ。そこで、この実業家は、会社を売却する。

 会社を買い取ったのは、ウィリアムズ・アダムズという男だった。彼は、18トンものここから化石を持ち出し、商売をしようとしたが失敗してしまう。

 その後も化石に一攫千金を狙う者は、後を絶たない。大切な地球の遺産が、金儲けやら他の理由で破壊されていく事実を踏まえて、1906年にルーズベルト大統領はこの地を国定記念物に指定した。それからルート66が走ったりして、人を往来が激しくなり、保存が難しくなってきた。そうして、1962年には、国定公園の指定を受けることになった。現在、この国定公園からの化石の持ち出しは禁止されている。

 自然が作った橋。一本の木が倒れ、化石となった。そしてその上にあった土砂が風や水で削り取られ、木だけが残った。その両端には岩があり、まるで誰かが橋を作ったように横たわっている。1930年代初期に、この橋がいつか倒壊してしまうことを心配して、橋の下にコンクリートを入れて支えるようにした。