日本文化を宣揚するアメリカ人たち

 アリゾナには、州最大級とも言われる「アリゾナ祭り」というイベントが、毎年2月に、フェニックス市で行われています。1984年から始まったこのイベントは、もはや、フェニックス市民にとって大変親しみのあるフェスティバルに発展しました。

 僕は、何回もこのイベントに行って、レンズを通して、いろんな人を見てきました。カメラのファインダーには、多種多様な人々が笑顔を見せて、楽しんでいる光景が映し出されます。

 僕が驚いているのは、こうした日本文化を宣揚する祭りの実行委員の半数以上が地元のアメリカ人だという事実です。日系アメリカ人も多くいますが、白人も多く、とても献身的に運営準備に励んでいるのです。

 そして、祭りの当日でも、折り紙を教えるアメリカ人、剣道や柔道を披露するアメリカ人、日本舞踊を踊るアメリカ人、和太鼓演奏をするアメリカ人、和食を提供するアメリカ人、等々。これほど多くのアメリカ人が日本文化の紹介のために、このフェニックスという日本人が誠に少ない町で、日本の祭りを成功に導いている事実は、驚異的です。2日間のイベントですが、8万人ほどの市民が集ってくるのですから、大規模な祭りです。

 長い間、祭りの準備運営に中心的存在として働いてきたケリーさん、ドリスさん、べバリーさん、故テッドさんなどは、日本から来た日本人の僕が舌を巻くほど、身を削る思いで、頑張っています。

 これを、日本からやって来た日本人だけが、このようなイベントを立ち上げようとしても、まず、不可能に近いことだと思います。

 逆に、この地に生まれ育ったアメリカ人がエンジンとなって行うイベントであるからこそ、地元社会に根付いてきたのでしょう。

 その意味で、アリゾナ祭りは、単に日本祭りではなく、アリゾナの社会に、また市民に、文化の大切さ、文化の偉大さ、文化の美しさを訴えていく貴重な意義があるはずです。

 精神文化が貧弱になり、暴力が横行する社会は、惨めなものです。よくニューヨークやシカゴなどからアリゾナにやって来る人が、「アリゾナには文化がない」と言うのを聞きます。もちろん、ニューヨークやシカゴのような文化を期待しても、場所が違うのですから、期待はずれでしょう。しかし、アリゾナにも、陰で一生懸命、文化の宣揚に人生を費やしている人がたくさんいることを、知ってもらいたいと思います。

red fire alarm switch during nighttime

消防署を作らなかった町

 どんな市や町にも警察と消防の機関が当然あると思っていました。僕が、ケーブクリークという町に行って、町会議員や市長と会い、インタビューした時、この町には、消防署がないということを知らされ、びっくりしたのです。

 ケーブクリークという町は、フェニックス市の北側にあり、山間にできた古い町です。もともと、山と山の間を騎兵隊がアパッチ族を撃退するために作った軍用道路に、店ができたりして、人が集まり、のちに金鉱が見つかって、人口が増えた町です。もちろんこれは、19世紀の話。

 そして、牧場を開く者などがやってきて、まさに西部劇に登場するような街並みができたのです。

 その後、サワロの巨大なサボテンの林と、広大な自然の風光美に誘われて、いろんな人たちが入植してきた。多くの人は、かなり広い敷地に家屋を作り、馬を飼育し、砂漠の山を乗馬で楽しむようになりました。

 さて、ケーグクリークのマクガイヤー町会議員を訪ねて、話を聞いてみました。とてもフレンドリーな人ですが、カウボーイハットをかぶって、いかにも西部を楽しんでいる様子でした。

 彼が強調するケーブクリークの強みは、住民が「自由」を満喫しているということでした。アメリカは「自由」と「平等」の国。少なくとも、それを標榜している国で、「自由」がなければ、アメリカではないと言います。

 彼の言う「自由」は、こういうことでした。

 他人から指図されないこと。他人というのは、政府も含みます。つまり、町会議員の政治家の彼が、政府は人の自由を奪うべきではない、と言うのです。そこには、政府や権威が、人を支配することに対する嫌悪感と、それをできるだけ排除して、自由を守る仕事が、議員のすべき役目ということになります。

 そこで、面白い議題に入りました。それは、消防署です。

 町には、当時、運営する消防署がないのです。そこで、消防作業は、私企業に任せています。住民も、自分たちが払う税金で消防署の運営をするのは、税金の無駄使いだという論理が通用しているのです。つまり、個人の「自由」が優先し、政府は、それを邪魔しないということです。

 では、万が一火事になったら、どうするのでしょうか。私企業の消防サービス業者は、火事が起こった時の消火を希望する住民に、会費を毎月集めます。

 いざ、火事発生の時、この業者が消火作業をします。会費を納めている住民には、無料のサービスとなり、会員でない住民も、火事になると、この業者が消火作業をします。その後、請求書が業者から送られてきます。大方の非会員は、火災保険に入っており、保険で請求額をカバーするというものです。

 入会か非入会かは、住民の「自由」なのです。政府が税金を徴収して、サービスを提供するのではない、というシステムです。

 これが、アメリカ人の「自由」なのか、と僕も舌を巻きました。

 彼は、「政府は小さくなくてはならない。政府が大きくなると官僚化が始まり、人々の自由が奪われる」と言います。これには、「政治権力は危険で、腐敗する」という思想が流れているように思いました。

 アメリカに定着した個人主義の一面を見た思いです。ただし、これは、ある程度高所得者層でなければ、可能ではないでしょう。

 さて、話は、地球温暖化。ただでさえ暑いアリゾナ。そして水不足のアリゾナです。夏は特に、気温上昇と空気の乾燥化で、山火事が頻繁に発生しています。

 ケーブクリークに広い敷地を買って、家を建て、自由と自然美を楽しんでいる住民には、山火事の脅威が、日に日に大きくなっています。いざ火事が起きた時に、迅速な、しかも効果的な消火作業が必要です。

 こうした状況変化を背景に、ケーブクリークの町政府に、消防署を設置するように要求する住民が多くなってきました。そして、ついに2022年、町の消防署が誕生しました。今後の課題は、消防署の運営と高性能な消防機器の設置に使う資金の調達です。住民が嫌がる増税もしなければなりません。個人の自由か、社会の安全か。すでに択一の余裕がありません。どこかで、自由を犠牲にしても、地域が平和と安全でない限り、住民の幸せは保証できないからです。これからも、自由と責任との関係を追求していかなければなりません。そして、真の自由とは何かを問う時が来ています。