a group of jets flying in formation

州都フェニックスってどんな町?その3


フェニックスの発展に寄与したものは?

 では、フェニックスがただの荒地からこのような大都市になるまで、何が大きく寄与したんでしょうか。

 もともとアリゾナは、メキシコの一部で、アメリカが買い取ったんです。その後、ゴールドラッシュが始まり、東海岸からカリフォルニアを目指しておびただしい人たちが移って来ました。カリフォルニアまで行かないで、アリゾナに留まった人たちも多くいます。

 でも、本格的な州の発展は、何と言っても20世紀に入ってから始まったんです。ただの農業だけでは、発展は限られています。それでは、何か?

 アリゾナの発展を助けたのは、何と言っても戦争です。これが、皮肉な人間の歴史です。

 2回の世界大戦のおかげで、アリゾナは、またフェニックスは、成長しました。

 それは、アリゾナの空と関係しているんです。快晴が続くアリゾナは、空軍のパイロット訓練に最適な場所なんです。今でも、空軍基地があり、また、民間航空会社もパイロット研修のためにアリゾナの空を飛んています。

 これで、軍需産業がアリゾナに入って来ます。それに関連して、いろんな会社がアリゾナに移って来ました。当然、人口は増えます。町も大きくなります。特に、第二次世界大戦後、エアコンが一般家庭に設置されることが可能となると、アリゾナ人口は、ブームとなっていきます。

 僕もつくづく、エアコンなしでは、ここには住めないと思います。

 また、戦争のために思わぬ農業が盛んになるんです。それは、綿花です。綿花と戦争と何の関係があるのかと、思いましたが、大いにありです。

 第一次世界大戦前、アメリカは、良質な綿花を使って、自動車のタイヤを生産していました。車社会が始まったころです。また、戦車のタイヤにも綿花が必要でした。そして、この良質な綿花は、すべてエジプトから輸入していたんです。

 ところが、エジプトは当時イギリスの植民地で、そのイギリスが綿花の輸出を禁止してしまったんです。なぜかと言うと、イギリスも戦車のタイヤを大量生産する必要性が出て来たからです。それで困ったアメリカは、大量に良質の綿花を生産できる場所を探しました。そして、その場所がテキサスとアリゾナだった訳です。綿花生産には、エジプトのような気温の高い環境が必要でした。

 それで、タイヤの大手会社、グッドイヤーがフェニックスの西側に広大な土地を購入して、綿花生産が始まりました。その町が今の「グッドイヤー市」なのです。

 また、戦争を通して、軍需産業は、ハイテク産業を呼び、アリゾナには、ハイテク企業がひしめいています。砂漠のシリコンバリーと言っても言い過ぎでないほどです。

black and white urban art with ladder

州都フェニックスってどんな町?その2


そもそもフェニックスの名前の由来は?

 フェニックスとは、不死鳥の意味です。では、なぜ、この町がそんな名前なんでしょうか。何が不死鳥なのか、と周囲を見回しても、そんな鳥は飛んでいません。

 これは、ある白人がこの地に来て、何かを発見しことから、この名前がつけられたのです。

 まだ、19世紀の後半。フェニックス一帯は、ただの砂漠の荒野でした。当時、人間は誰も住んでなかったんです。

 ある日、ジャック・スウィリングという男がフェニックスの近くに来て、広大な荒野を見ながら、ここに水を引けば農業が可能だと見た。そして、ここで彼が見つけたものが、灌漑用水路跡だった。この用水路は網の目のようによくできており、そこを流れるソルトリバーの川から水を引いていたことがわかった。一体、この場所で誰がこんな用水路を作って農業をしていたのか。それでわかったことが、この地には、昔、先住民が住んでいて、農業を営んでいたことだった。彼らが居たのは、何百年も前の話。その先住民の人々は、ある時、突然姿を消して、用水路だけが残った。この用水路を再度復活させて、農業を可能にしたのが白人たちだった。こうして、一旦死んでしまった場所が、用水路の復活で蘇ったということで、フェニックスという名が正式に付けられたんです。

 僕は、この名前が大好きです。どんなに死んだようになっても復活してみせる、というような明るさと強さを感じる名前です。こちらに来て、知らなかったことが、たくさんあったんだと、思いました。

silhouette of palm trees during an afterglow

州都フェニックスってどんな町?その1

人口増加トップの町、フェニックス

アリゾナで最も大きな市は、何と言ってもその州都であるフェニックス市。人口は165万人。しかも、本年(2023年)、国勢調査局の調査では、アメリカで最も人口が増加している市は、フェニックスだと発表されました。また、フェニックス市は、全米で5番目に大きい都市となりました。

最新の国勢調査局による発表では、

① ニューヨーク

② ロサンゼルス

③ シカゴ

④ ヒューストン

⑤ フェニックス

⑥ フィラデルフィア

⑦ サンアントニオ

⑧ サンディエゴ

⑨ ダラス

⑩ サンノゼ

の順だそうです。

 こんな暑い町になぜ人が集まる? 僕もフェニックスの住民なので、その原因追及に興味があります。

 まず、経済的な要因。生活費が比較的安い。僕は時々、カリフォルニアに行きますが、いつも、その物価の高さに閉口してます。ガソリン代がアリゾナに比べて、あまりにも高い。高速道路は、有料が多く、移動するにもコスト高。ましてや、そこに住もうとしたら、住宅はまず高すぎて僕などの庶民では、買えません。と言ってアパートなんかに住もうなら、毎月の賃貸は、とてもじゃないけど、手が出ません。

 以前、カリフォルニアの会社から仕事の誘いがありましたが、引っ越さなくて良かったと心から思ってます。給料が倍になっても、支出は倍以上です。

 近年、カリフォルニアからアリゾナに移ってくる人を多く見かけます。カリフォルニアで自宅を売りに出して、そのお金でアリゾナのもっと大きいな家を購入しても、現金が残るんです。これは魅力的ですよ。

 フェニックスの人口が増えているもう一つの要因は、何と言っても、気候です。僕が暖かい場所を求めて来たんですから。似たような人は結構います。特に、イリノイ州シカゴから冬の厳しさに嫌気がさして、アリゾナに来る人の多いこと。他州からアリゾナに移住してくる人の内、その州から一番多くの人が来ているのかと調べると、やはり、イリノイ州なんです。

 シカゴは、寒いだけでなく、近年、銃暴力で毎日人が撃たれて亡くなっています。特にシカゴ南部の黒人区域では、深刻な問題となっています。僕が知っているだけでも、かなり多くの黒人の家族が安全を求めて、フェニックスに移って来ています。

 面白いのは、かつてNBAバスケットボールの選手権大会で、シカゴ・ブルズのチームがフェニックス・サンズとファイナル戦を戦ったことがありました。しかも、そのスタジアムは、フェニックスです。会場は、ファンで満員。何万というファンが詰めかけ、応援に来ました。ほとんど人たちがフェニックスやその周辺に住む住民です。ところが、試合が始まると、半分くらいのファンは、シカゴ・ブルズを応援しているんです。フェニックスに住んでいても、もともとシカゴからきた人たちは、シカゴ・ブルズのファンなんです。その上、シカゴ・ブルズには、あの有名なマイケル・ジョルダンがいたんですから、なおさらのことでしょう。

 温暖な気候は、神経痛や喘息などで苦しんでいる人にとってもプラスになります。フェニックスは、かつて肺結核の患者が全米から来て治療を受けたことで有名です。アリゾナには医療施設が多く、医療関係の仕事に就く人がたくさんいます。

person riding ski on snow field

アリゾナは砂漠だけじゃなかった

 アリゾナに雪が降るなんて想像もしていませんでした。スキー場があるなんて夢にも思っていませんでした。
 暑いだけの場所かと思ってたら、アリゾナは、その地域によって標高の差がかなりあって、山岳地帯ですと、気温がぐっと低くなるんです。
 ある1月の日、まだ学生だった僕は、クラスメートが週末にスキーに行くというので、どこかコロラドにでも行くのかと思って尋ねると、日帰りで行ってくると言うではないですか。フェニックスから車で2時間北に行くとスキー場があると聞いて、そんなバカなと思ったほどです。
 それで、アリゾナの地図を引っ張り出してよく見ると、確かに標高が高い山岳地帯がアリゾナの北から東に広がっています。
 もっと驚いたことがありました。よく地図をみると、北の中継地となるフラッグスタッフという町から、さらに北に上がって行くと、ハンフリーズ・ピークという山があります。その標高が、12,063フィート。メートルに換算して見たら、何と、3,851メートル。つまり、あの富士山よりも高いんです。
 「アリゾナにあるスキー場」とは、納得のいく事実でした。
もっとよくアリゾナの地図を眺めていくと、実は、アリゾナのスキー・リゾートは、3箇所もあるんです。
① フラッグスタッフの北側にあるスノーボウル・スキー場
② アリゾナ東側のホワイトマウンテンにあるサンライズ・スキー場
③ アリゾナの南、ツーソン市の近くにあるマウンテレモンのスキー場

 わざわざ冬の寒い長野県からアリゾナに来た僕は、雪を見るためにスキー場にいくなんてことは、まずあり得ないですね。そこで、夏に行ってみました。3箇所全部、夏に行きました。
 そこは、やはり日本を思い起こすような山間で、白樺の木々が空高くそびえています。ここがアリゾナなんだと思うと、また別世界に来たように不思議な感じを持ちました。


 でも、結局、子供ができると、雪を見せてあげたいという親バカが始まり、雪を見にフラッグスタッフまで運転をして、スキー場まで行って来ました。

 面白いのは、標高の差で驚くほど気候に変化を及ぼすということでした。フェニックスからフラッグスタッフまで、高速道路を飛ばして約2時間余ですが、車窓から見える景色が砂漠から森林地帯と変わっていくんです。
 もっと短時間で景色の変化を見ることができるのは、3番目のマウントレモンです。マウントレモンの麓からカタリナ・ハイウエイという舗装された道路を上って運転します。ハイウエイの入り口からスキー場までたったの30分で着いてしまいます。この30分の間にサボテンの林が松の林に変化していくのを見るんです。
実は、この標高の違いこそ、アリゾナの自然を実にユニークでダイナミックなものにしてくれていることが、わかりました。

two young men sitting on grass enjoying sunset

綺麗な砂漠

 日本にいた頃は、砂漠と言えばサハラ砂漠を想像してました。ラクダに乗って、沙だらけの地面をどこまでも進み続けるような。それから、西部劇の映画に出てくるような低木ばかりで埃っぽい荒地も想像してました。そんな所に町を作るなんて、余り賢くないなあ、などと思ったりしてました。

 その僕がここアリゾナに来て、住めば住むほど、キレイな砂漠だなあ、と感動するようになったんです。もちろん、雨は余り降らないので、乾燥しきっていますが、この砂漠には色があるんです。それは、土色じゃあなく、鮮やかな赤だったり、黄色だったり、オレンジ色だったり、とにかく、カラフルなんです。

 あとで知ったんですが、アリゾナの砂漠は、ソノラ砂漠と言って、メキシコの北部一帯から広がっている特異な砂漠地帯です。隣のニューメキシコ州に行ってもカリフォルニア州に行っても、こんな砂漠にはお目にかかりません。

 鮮やかな色は、サボテンやら砂漠特有の植物が、ある特定の時期に思い切って咲き誇る花のファッションショーなんです。特に3月から5月にかけて、街中やちょっと離れた砂漠地帯に行くと、野花や木々の花が一面に咲いていて、我が目を疑うほど、別天地にいるような感覚を持つんです。

 3月になると、カメラを持って近くの山に行きます。そこは野花のパラダイスです。山の裾野一面に黄色やピンクなどの色が混じり合って、野花がひしめき合って咲いているのです。まさに春を待っていたんです。

 パロバーデという砂漠に育つ木があります。パロはスペイン語で枝。バーデはスペイン語で緑の意味です。かつて初めてこの地にやって来たスペイン人たちが付けた名前でしょう。この木は、アリゾナ州の州木に指定されています。この木が5月になると、素晴らしい黄色の花を咲かせます。街を歩くと(というより車で走ると)、これが黄色でなく、薄いピンクだったら日本の桜が満開しているような光景だなあと思ったりします。

 それから、サワロという大型サボテンがいたる所に突っ立っています。サワロは、5月になると、木のてっぺんにクリームのような白い花を咲かせます。とても背が高いサボテンなので、その花を上からまたは横から写真に収めようとすると、はしごが必要です。この花を目指して、ミツバチが集まり、実がなると、鳥が食べにくるんです。なにせ、見上げるように高い所にある花なので、鳥も安心しているのかもしれません。

 そのほか、いろんなサボテンが5月には、真っ赤な花や、真っ黄色な花を見せてくれるんです。

 砂漠なんて何もない、などと言ったら大自然に失礼に当たります。

man standing on rock formation

写真を始めました

 日本では高校生の時、カメラに興味があったんですが、実際に一眼レフで被写体を撮ってみるということはありませんでした。そんな僕も、いよいよ写真を始めました。一眼レフのデジタルカメラを買い、大学のクラスを取り、プロを見つけては何回もトライしてみました。

black dslr camera on beige wooden surface

 ワークショップがあると聞けば、すぐ参加して、プロに質問したりして、何とか上達しようと頑張ったんです。毎日のように、被写体、光、色、角度、影などが頭を廻りまわっていました。夕焼けと朝焼けを撮るのが、写真上達の早道と聞いて、毎朝のように早朝に起きて、山や川などにカメラを抱えて行きました。そして、2年ぐらいすると、コンテストで入賞し、自信をつけました。

 アリゾナはとにかく自然が美しい。朝焼け、夕焼け、鮮やかなサボテンの花、赤土の岩山、そして、何よりグランドキャニオンがあります。

 セドナもあります。カメラを抱えて、山道を歩きました。結構良い運動です。

 でも最近は、自然美もさることながら、人を撮ることに楽しみを覚えています。こちらの人は、とにかく恥ずかしがらない。レンズを向けると必ず笑顔でポーズを取ります。「チーズ」なのか「ハイ」なのか「イェー」なのか。とにかく口で何かを声を出したりしてくれます。シャッターを切ると、どんな風に撮れたら見せてくれ、と言ってくる人も多い。僕は、いろんなイベントに顔を出して、そこにきている人たちにカメラを向けます。「キャナイ・テイク・ピクチャー?(写真をとっていいですか)」と声をかけると、「ノー」という人はいません。時々、「ホワイ?」と言って、なんのための写真か聞いてくる人もいます。要するにわからなければ、わかろうとして話しかけてくれるんです。

 イベントには、積極的に顔を出して、写真を撮りました。なにせ、出版の仕事をしていますから、イベント広報担当者に掛け合って、報道カメラマンですと言って、許可を取ります。プロ野球、ゴルフトーナメント、サイクリング・レース、アイススケート・ショー、コンサート、アコンベンション、展示館、フェスティバル、ファッションショー、パレード、または政治家の記者会見など、いろんな場に出て、シャッターを押し捲りました。僕にとってもいろんな勉強ができて楽しく写真を上達させることが可能となりました。

 僕はアリゾナの人たちが大好きなんです。もちろん変な人もいますが、フレンドリーな人が多い。毎日晴天のせいでしょうか。太陽が明るい心を人々に与えているかもしれないと思ったりします。日本では、「夕焼け小焼けで…」と歌って、明日は天気になあれなんて、空に向かってお願いしたりしましたが、ここでは、明日の天気はまず考える必要がないんです。まずほぼ確実に、朝には陽が昇ってきますから。さて、明日も朝焼けの写真を撮ったら行こうかなも、と思います。

view on the airplane window

1)なんで わざわざアリゾナに?

「なんで、わざわざアリゾナに?」と聞かれることがあります。実は、アリゾナは僕にとってホームなんです。

 日本では、中学生の頃から海外に出たくて、日本の外の世界を夢見ていました。日本以外ならどこでもいいと思っていましたが、なにせ外国語は英語しか勉強していないので、自然に英語圏に行きたいと望むようになっていました。

 中学生の時にオーストラリアの中学生とペンパルになり、文通をはじめました。スーザンという女の子が送ってくれるオーストラリアの写真には、とても広大な砂漠の景色があり、印象的だったのを覚えています。

 「日本のようにジメジメしない国…カラッとした土地に」と思うようになりました。

 大学を出て、東京でサラリーマン生活に入っても、海外への夢は心の中にしっかりと残っていました。僕は、日本の企業の終身雇用制やら、年功序列、社会の上下関係に大変疑問を持って、その気持ちがどんどん大きくなるにつれ、日本を離れることに気持ちが固まって行ったのです。

 就職して4年目に一大決意をしました。辞表を出して、会社を辞めたのです。会社の上司はとても驚いていましたが、実は、その半年前から着々と準備をしていたんです。

 アメリカに行こう。大学に戻ろう。本格的に生活をしてみよう。

 そして、アメリカの大学を色々と調べているうちに、アリゾナ州立大学に目が止まったのです。アリゾナ…。砂漠の地。とても暑そう‥。アリゾナと言えば、西部劇の映画に出てくる「モニュメントバリー」が最初のイメージで頭の中に浮かび上がります。そして、バーン、バーンと銃声が鳴り響き、インディアンが次々と死んでいく…。あまり平和とは、かけ離れていそうだけど、全く日本的でないこの地。

 そして、決めました。この大学に入ろうと。

 もう一つ暑いところを選んだ理由があるんです。

 それは、僕の体のことです。僕は、3歳の時に小児麻痺にかかり、右足が不自由です。右足は血液の循環がよくなく、小さい頃はよく母親にマッサージしてもらったことを覚えています。生まれと育ちは長野県。避暑に格好の場所ですが、冬の寒さは、こたえました。右足が動かなくなるんです。血が止まってしまったように、とても冷たいんです。

 それで、いつも暖かい場所に移りたいと思っていました。

 アリゾナは、暖かいといういうより、猛暑の夏が長く続く場所だと思い、ここなら大丈夫だと、確信したのです。

 8月11日にアリゾナのフェニックス国際空港に到着しました。ながーい間夢に見た海外の地。そして、アリゾナ砂漠。空港からタクシーであらかじめ予約してあった安ホテルに向かいました。その車窓から飛び込んでくるアリゾナの光景は、思った通り全く日本的でない、荒々しい砂漠の姿でした。色は緑でなく茶色。ムーっとする熱風。しかも、僕がここについたのは、真夏の中の真夏、8月です。外はすでに摂氏50度くらい。こんな所に人が住んでいるのかなと、疑ったほどです。

 ホテルにいて数日後にアパートを見つけました。大学はフェニックス市の隣にある学生街、テンピという町です。その大学の近くに安いアパートを見つけました。入居の初日に、電力会社から僕のアパートに電気が入るのは明日からです、と言われ、その日は電気なし。つまりエアコンなし。これには参りましたね。夜になっても外が涼しくならないんです。とにかく寝られない。七転八倒を寝床で繰り返し、ついに決めました。外のプールに入ろうと。多くのアリゾナのアパートには、プールが備えられています。そこでプールの水に体を入れ込むと、なんと、ぬるま湯のようなプール。でも、寝床で苦しい思いをして一夜を明かすより、ここで一晩耐え抜こうと思いました。

 こんなアリゾナ生活の出発だったんです。

 正直、とんだ所に来たもんだ、と思いました。日本で見たテンピの地図から想像していた町とは、格段に違う景色。通りの一角から一角まで、東京のような感覚で歩けるものと思っていたら、その距離が結構あるんです。まだ道路がやけに広くて、徒歩で買い物など行けたもんではない。そこで早速自転車を購入して動き始めたんです。

 そんなある日、アパートのプールサイドに座って空を眺めていました。すでに夕日が沈んで少し涼しい風が体を柔らかに撫でていた時です。空の色がオレンジから濃い赤に。そして紺色からコバルトブルーのように変化していくのをじっと見つめていました。アリゾナの空は大きいんです。西の空がどんどん色を変えて暗くなっていくのを1時間ほど見ていました。その時、アリゾナってなんと美しいんだろう…と心の中から感動が芽生えて来ました。この感動はいまでも忘れることがありません。

 ここにずっと居よう…アリゾナにずっと住んでいたい…という思いが突き上がって来ました。それから、アリゾナの美に魅せられる日々がずっと続いているのです。

2)どこかでお会いしましたっけ?

 テンピ市のアパートに入ってから、近くのコンビニ店を見つけ歩いていた時です。向こうから体ががっちりしたフットボールでもやっているような大柄な黒人の男性が歩いてきました。僕は、日本からきたばかりでアメリカ人の顔見知は全く皆無でした。

この写真は、僕ではありません。

 この男の人が、私とすれ違う直前に「グッドモーニング。ハウ・アー・ユー?(おはよう。元気?)」と言うのです。僕は、突然のことで、まさか彼が僕に話しかけたと思わず、僕の近くにだれかいるのかと後ろを見たほどです。でも、僕しかいないので、この人は僕に話かけたんだと、わかりました。

 ひょっとしたら、どこかで会っているかもしれないのだろうか?誰なんだろう?

 そんな思いのまま、とりあえずニコッとすると、彼は、僕とすれ違って向こうに行ってしまいました。それから、同じようなことが、何回もあるんです。大学に行くと、たくさんの学生が歩いていて、時々、同じようなことに遭遇します。

 鈍感な僕でも、ようやく、「そうか、顔見知でなくても、こんな風に言うんだな」と理解しました。

それで、僕も同じようにしてみようと思い、全く会ったことがない学生に「ハウ・アー・ユー」と言うと、「グッド」とか言って、反応してくれます。

 しばらくして、わかったんですが、アメリカは「自己主張の国」「自己表現の国」です。恥ずかしがっていて、何も言わないと、自分の存在すら認めてもらえません。そう言えば、大学のキャパスでも、普通の街角でも、よく人が話しています。時には激しい口論もしています。自己の表現をしないとダメなんです。僕は、中々、英語が上達しないで、自分の言いたいこともよく表現できなかったんですが、一生懸命言おうとすると、僕のような英語でも、一生懸命聞いてくれる人がたくさんいました。

 ここでは、「沈黙は金」のルールは全く通用しないんです。

 さて、後に結婚して、長男が生まれました。長男が幼稚園の時に、「明日、何か自分の好きなものを持って行かないといけない」と言いだしました。何をするんだ、と聞くと、「ショー・アンド・トーク」だというんです。「ショー」つまり、見せて、「トーク」、話すんです。これは、子供の時から、自分が好きな物をクラスの全員の前で見せて、これは何なのか、なぜ好きなのか、どうやって使うのか、などなど、詳しく説明をする訓練です。これを見て、「なるほど」と僕は感心しました。自己表現をすることで、相手に理解してもらい、自分も社会の中で自信をつけていくのです。周りの人たちと同じではなく、自分だけのユニークなものを表現し、主張していく国なのです。

 世界のどこでも男性より女性の方がよく話しますが、この国の男性はよく喋る。あまり喋り続けるので、僕は聞いているのが嫌になるほどです。でも結構、理路整然と主張する人が多く、さすがに小さい頃から訓練されているな、と思います。僕も、日本にいた頃より、ズーっとよく喋るようになりました。そうしないと、相手にわかってもらえません。