1)なんで わざわざアリゾナに?
「なんで、わざわざアリゾナに?」と聞かれることがあります。実は、アリゾナは僕にとってホームなんです。
日本では、中学生の頃から海外に出たくて、日本の外の世界を夢見ていました。日本以外ならどこでもいいと思っていましたが、なにせ外国語は英語しか勉強していないので、自然に英語圏に行きたいと望むようになっていました。
中学生の時にオーストラリアの中学生とペンパルになり、文通をはじめました。スーザンという女の子が送ってくれるオーストラリアの写真には、とても広大な砂漠の景色があり、印象的だったのを覚えています。
「日本のようにジメジメしない国…カラッとした土地に」と思うようになりました。
大学を出て、東京でサラリーマン生活に入っても、海外への夢は心の中にしっかりと残っていました。僕は、日本の企業の終身雇用制やら、年功序列、社会の上下関係に大変疑問を持って、その気持ちがどんどん大きくなるにつれ、日本を離れることに気持ちが固まって行ったのです。
就職して4年目に一大決意をしました。辞表を出して、会社を辞めたのです。会社の上司はとても驚いていましたが、実は、その半年前から着々と準備をしていたんです。
アメリカに行こう。大学に戻ろう。本格的に生活をしてみよう。
そして、アメリカの大学を色々と調べているうちに、アリゾナ州立大学に目が止まったのです。アリゾナ…。砂漠の地。とても暑そう‥。アリゾナと言えば、西部劇の映画に出てくる「モニュメントバリー」が最初のイメージで頭の中に浮かび上がります。そして、バーン、バーンと銃声が鳴り響き、インディアンが次々と死んでいく…。あまり平和とは、かけ離れていそうだけど、全く日本的でないこの地。
そして、決めました。この大学に入ろうと。
もう一つ暑いところを選んだ理由があるんです。
それは、僕の体のことです。僕は、3歳の時に小児麻痺にかかり、右足が不自由です。右足は血液の循環がよくなく、小さい頃はよく母親にマッサージしてもらったことを覚えています。生まれと育ちは長野県。避暑に格好の場所ですが、冬の寒さは、こたえました。右足が動かなくなるんです。血が止まってしまったように、とても冷たいんです。
それで、いつも暖かい場所に移りたいと思っていました。
アリゾナは、暖かいといういうより、猛暑の夏が長く続く場所だと思い、ここなら大丈夫だと、確信したのです。
8月11日にアリゾナのフェニックス国際空港に到着しました。ながーい間夢に見た海外の地。そして、アリゾナ砂漠。空港からタクシーであらかじめ予約してあった安ホテルに向かいました。その車窓から飛び込んでくるアリゾナの光景は、思った通り全く日本的でない、荒々しい砂漠の姿でした。色は緑でなく茶色。ムーっとする熱風。しかも、僕がここについたのは、真夏の中の真夏、8月です。外はすでに摂氏50度くらい。こんな所に人が住んでいるのかなと、疑ったほどです。
ホテルにいて数日後にアパートを見つけました。大学はフェニックス市の隣にある学生街、テンピという町です。その大学の近くに安いアパートを見つけました。入居の初日に、電力会社から僕のアパートに電気が入るのは明日からです、と言われ、その日は電気なし。つまりエアコンなし。これには参りましたね。夜になっても外が涼しくならないんです。とにかく寝られない。七転八倒を寝床で繰り返し、ついに決めました。外のプールに入ろうと。多くのアリゾナのアパートには、プールが備えられています。そこでプールの水に体を入れ込むと、なんと、ぬるま湯のようなプール。でも、寝床で苦しい思いをして一夜を明かすより、ここで一晩耐え抜こうと思いました。
こんなアリゾナ生活の出発だったんです。
正直、とんだ所に来たもんだ、と思いました。日本で見たテンピの地図から想像していた町とは、格段に違う景色。通りの一角から一角まで、東京のような感覚で歩けるものと思っていたら、その距離が結構あるんです。まだ道路がやけに広くて、徒歩で買い物など行けたもんではない。そこで早速自転車を購入して動き始めたんです。
そんなある日、アパートのプールサイドに座って空を眺めていました。すでに夕日が沈んで少し涼しい風が体を柔らかに撫でていた時です。空の色がオレンジから濃い赤に。そして紺色からコバルトブルーのように変化していくのをじっと見つめていました。アリゾナの空は大きいんです。西の空がどんどん色を変えて暗くなっていくのを1時間ほど見ていました。その時、アリゾナってなんと美しいんだろう…と心の中から感動が芽生えて来ました。この感動はいまでも忘れることがありません。
ここにずっと居よう…アリゾナにずっと住んでいたい…という思いが突き上がって来ました。それから、アリゾナの美に魅せられる日々がずっと続いているのです。