個性が生きるアメリカ
僕がアリゾナ州立大学を卒業し、念願だったアメリカでの就職を勝ち取った時は、最高に嬉しかったです。僕は、何としても永住権を取得して、ここ、アメリカにいようと思っていましたので、就職先での面接で、そのことを伝えました。会社側は、快く受け入れてくれて、採用がその場で決まり、就職するや否や、移民弁護士を雇ってくれたのです。
さて、僕のことを気に入ってくれた社長のリチャードさん。そして、その下で働いている社員を一人一人見ながら、僕は、何と個性豊かな人たちだろうと感嘆しました。
日本でもサラリーマンをした経験がある僕は、日本の会社と比べて、実に一人一人が異なった性格と資質を輝かせていて、時には、皆の前で、意見の違いから大声で放ちながら不合意や不満を表現し合っているのです。それでいて、その数分後は、何もなかったかのように、仕事を一緒にしている彼ら。
社長のリチャードさんは、エンジニア。コンピュータ関係の会社を立ち上げ、日本の会社と合弁という形で、アリゾナの法人を経営していました。そこで、日本人の社員が必要となり、探していたところ、僕の履歴書を受け取り、面接してくれた人です。こちらでは、上司を役職で呼ぶことなく、ファーストネームで呼び合うのです。これは、僕には驚きでしたが、すぐに慣れました。
頭の切れは最高でした。口もすごく、次から次へと専門知識やらその応用やら、彼のアイデアが弾丸のように、口から飛び出てきます。その当時から彼は、いつかAIの時代が来ると何度も僕に言っていました。まだ、AIなどニュースにもならない時でしたが、先見の明ありです。
ところが、個人としては、あまり金銭感覚に優れた面が見受けられず、収入と支出のバランスがよく見えていないようでした。彼は、離婚後、一人で小さなトレーラーハウスに住んでいて、何回もエンコする自動車を修理につぐ修理を繰り返して、かろうじて乗っていました。
僕の後に入社してきたモハメッドさん。アラブ系で、敬虔なイスラム教徒。その彼もエンジニアとして、入社してきました。
その後、ハルクさんというトルコ人が入社してきました。彼もイスラム教徒だそうですが、宗教には無関心とのことでした。そして、ニュージーランドから研修生として一人の男性、ジェフが入ってきました。彼とは、年齢が同じだった僕は、よく一緒に食事に行ったりしたものです。ただ、ニュージーランドの英語が、僕は、なかなか理解できず、閉口しました。彼も、日本語訛りの僕の英語がよくわからないようでした。社内で僕と彼とのやりとりを聞いていたアメリカ人の社員が、笑顔で通訳で入ってくれたりしたのを覚えています。多分、僕と彼との会話は、滑稽だったようです。
こんな会社ですから、それぞれの違いだけを挙げれば、キリが無いほどですが、それぞれの個性を尊重しながら、会社として成り立っていました。
アメリカには、終身雇用制などありませんから、彼らも何か違う会社や違う仕事が見つかれば、すぐ辞めてどこかに行ってしまうのです。
実は僕も似たような状況で、永住権取得後、この会社を辞めました。
このように他の人と同じようにしなければならないという社会規制がない国や団体こそ、僕が大好きな環境なのです。
人はそれぞれ違っていて当たり前で、その個性を十分に活かしていけば良いのです。その上で、団体として、一緒に仕事ができれば、素晴らしいのではないでしょうか。差異と和合は、共存できるものです。