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このページに掲載されている記事は、月刊じょうほう「オアシス」誌の記事を出版後に校正し直したものです。

先住民が遺した村、ベシュ・バ・ゴワ

2010年2月号

先住民の遺跡をいたる所で見ることができるアリゾナ。今月は、アリゾナの東部にあるグローブという町で発掘された遺跡、ベシュ・バ・ゴワ(Besh Ba Gowah)を訪れてみよう。

 
   
金属の場所

ベシュ・バ・ゴワとは、アパッチ・インディアンの言葉で、「金属の場所」という意味だ。この一帯は、ホホカム・インディアンが西暦900年ごろ住んでいたことがわかっている。ホホカム・インディアンは、現在のフェニックス周辺に灌漑用
水路を作り上げて、農業を営んでいた人たちだ。彼らは、その後、グローブの周辺から姿を消した。そして、13世紀ころにサラド・インディアンと学者が呼んでいる古代人が移住して来た。彼らが、この場所にプエブロを建設し始めた時期
は、考古学者の調査によると、1225年ころとされている。プエブロとは、メキシコ北部やアメリカのニューメキシコ州、アリゾナ州にいた古代インディアンが住む共同体、集落を指す。ベシュ・バ・ゴアは、サラド・インディアンが建設したプエブロの一つである。
この一帯に人間が住み始めたのは、何と言ってもその環境による。水が豊富であり、バラエティーに富んだ食物が容易に手に入る。しかも気候が良いので、農業に適している。13世紀には、サラド・インディアンが各所にプエブロを作って定住していたようだ。
ところが、西暦1400年ごろになると、彼らは突然この地を捨て、どこかに移住しまった。学者の想像では、この頃に気候の大変化が起こり、水が不足し、場所を移ることを余儀なくされたのではないかという説がある。しかし、いまだに明白なことは解明されていないので、これは、ひとつのミステリーとされてきた。
さて、サラドが去った後は、長い間、人が定住した形跡がない。そして、西1600年以降にアパッチ族がこの地に移ってきた。そして、彼らは、このサラドが遺していった集落をベシュ・バ・ゴワと呼んだのだ。

遺跡の内部

現在、このベシュ・バ・ゴワは、グローブ市が所有・管轄しており、考古学公園として一般に公開されている。中には、博物館があり、サラドの人たちが遺した工芸品の数々が展示されている。彼らの建物は、二階建てで、壁は土と石でしっかりした構造になっている。まず気がつくのは窓がほとんどないこ
とだ。二階に登るには、はしごを使う。一階は貯蔵庫のように使われ、二階が住居の役割を果たしていた。
中央には広場があり、ここでは様々な儀式が行われた。また、ここから多くの人骨が発掘されているので、死体を埋める場所であったようだ。それだけでなく、貝殻で作られた装飾品が発見されているので、ここで交易が行われ、太平洋やメキシコの海岸から多くの人たちが貝殻などを持ち込んできたのだろうと推測されている。
実際に内部を歩いたりすることができる遺跡は、めずらしいので、一見の価値はある。